友人が、わざわざビアズリーの「サロメ」の絵葉書で「こういう本読んだの」と教えてきたので、読んでみた。 私は西洋史学研究室に所属していたし、19世紀末のロンドン/パリのデカダンス/アーツアンドクラフツ大好きだし、V&A美術館もサヴォイもウィリアムモリス好きだし、ワイルドの作品(The Importance of Being Earnest、Lady Windmere's Fan)が好きだし、ワイルドの言ったと言われているQuoteの数々も大好きだし、ビアズリー作品には10才で「エクスカリバーを水に投げ入れるベディヴィア」(母が買った)に出会ってから惚れ込んでるし、ロンドンにも馴染みがある。 それに、「現代に有名な作品の誕生秘話を、現代と当時の2重の時系列で語る」というタイプの物語に弱い。
条件としてはこの作品もドンピシャのはずだった。
けれど、 ・連載された作品のせいか、重複する描写が多い→それもあって、ストーリー進行が非常に遅いし、描写がしつこく感じる ・ビアズリーの作品の素晴らしさを言葉を尽くして説明しているけれど、まさに「百聞は一見に如かず」。ビアズリー作品をそこそこ知っている+大好きな私でさえ、「言葉で説明されただけじゃわからないよ」と思ってしまう。どちらかというと、原田マハが「こういう風に感じろ!」と見方を押し付けてくるように感じる。まさにTell not showになってる。 →「異端」「衝撃」と散々言葉で描写されているのは、ビアズリー作品を21世紀の私たちが見てもそこまで「異端」とは感じないから、「19世紀末の人々はこう感じたはず」と教えようとしてくれてるのかもしれない、とちょっと考えて思った。映画なんかの視覚メディアだったら、登場人物の表情や音楽で「異端」感を演出できるけど、文章だけではそうは行かない。難しい。(でも、本当に上手い人なら、Show not Tellできると思う) ・19世紀末の英国では、同性愛は法律違反だった。そして、宗教的にも、道徳的にも禁忌だった。それは分かる。けれど、頭でわかっているのと、感情として理解するのとは違う。登場人物たちが「禁忌・禁断・頽廃的」と恐れおののく様子が、やはりTell not Show。わざわざ描写しないで、シンプルに描写することで読者に読み取らせるような描かれ方じゃ無い。「そんな大騒ぎしなくても」と思ってしまう。物語冒頭で同性愛だとどのような社会的影響があるか、を描いた方が、「ダメだとわかっていても芸術的に惹かれてしまう」的描写に真実味が生まれたんじゃ無いか。 ・ビアズリーの姉、主人公メイベル。女の武器を使って、周りを操ろうとする。その気概は好き。けれど、中途半端だし、キャラとしてもつまらない。もっと厚みのあるキャラだったら共感できるのに。 ・「現代」パートに登場する人々の無意味さ。物語の導入(題材に馴染みのない読者の為のcrash course)としては必要なのかもしれないけれど、それ以外の存在感/意味なさすぎ。「実は研究者と個人的に関わりがあった」的な話にするなら、歴史的事実と完全フィクションをうまく組み合わせて面白いのに、この登場人物たちは、題材に一切関係がない。「ビアズリー/ワイルドの研究者」というだけ。だったらニュース記事を引用する形でも良かったんじゃないの? [サヴォイのサロンという場所は、(ないとは思うが)映画化する時には、「オペラ座の怪人」の映画のような、「同じ場所だけど時が遡る」という演出ができるな。「オペラ座の怪人」のあのシーン、唯一好きなシーンだ。] ・結末が消化不良 ・全体的に、Show not Tellの真逆。読者に感じさせるのでなく、読者に「こう感じろ」と言ってくる書き方。 …ということで、イマイチ。 (But 真っ黒のページはいい考えだった。描かれる年があっちこっちいくので、場面転換がわかりやすい。)